アジアの歴史byチンギスハン

中央アジア、東アジアの歴史を部族の視点から研究する

【小説】満州のチンギスハン、清の太祖ヌルハチ物語(1)

(初めに)

私は学者ではないので興味のある歴史の部分を切り取り、わかりやすく面白くをモットーに書いたものである。

なるべく史実に沿っているが正確でないところもあるし、想像の部分もある。

楽しんでもらえるとうれしい。

とはいえ、間違いや感想などをコメントいただければ有り難い。

またリクエストもお願いしたい。

今回は簡潔さを求めて試しに常体を用いた。

 

チンギスハンとヌルハチ

後の清である後金を建国した太祖ヌルハチとモンゴルの英雄チンギスハンは似ている部分が非常に多い。

どちらも文明の光が届かない辺境の部族のそのまた小部族の長の家に生まれている。

小さい時に父をなくしそれも悲劇的な死で失い少年時代を不遇のうちに過ごしたこと。

後にどちらも大帝国を作るが、この少年時代から小なりとはいえ自分の部族の長になるまでが一番生き残る確率が低いと思われること。

その確率は何千万という卵を生む魚や、あるいはマンボウが育つくらいの確率だったろう。

 

あえて興味本位に違うところを探すとヌルハチは典型的な武人でリーダーであること。

大きな戦力差の戦いの中でも負けはなかった。

戦闘の中心となって戦うので矢や銃弾、大砲の破片を受けたことはある。

当時の最新式のヨーロッパ式の「紅夷大砲」の傷が原因で亡くなっている。

戦いの天才と言っていいだろう。特に野戦には無敵を誇った。

 

日本で戦争に才能があり負けなかったといえば豊臣秀吉を思い浮かべる。

かれは家康相手の小牧・長久手の1引き分けしかない。

 

ただし見た目は秀吉が身長が120センチ台とも言われ体格に恵まれなかったのに対して、ヌルハチもチンギスハンも民族の中では体格が良かった。

残っている画像で見ると

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肖像画なので悪く書くはずもないがカリスマ性を感じる画像ではある。

 

対してチンギスハンは戦いには強かったが負けてもいる。

ただし敗戦でもどこからか仲間が増えて命がけの家臣が増えるのが彼の特色だ。

それはモンゴル族に限らず人種を越えている。契丹の耶律兄弟などは創成期から重臣として参加した。

その生い立ちとあらまし・時代背景

わかりやすさをモットーとするのですべて西暦表示とする。

1559年誕生 

女真族建州女直の5部族のうちのスクスフ部の首長、タクシの4男として生まれる。

大きく分けて女直は3つあった。

現在の中国東北部から北朝鮮に住んでいたのが女真族で、明の時代は南から建州女直、海西女直、野人女直があった。地図の通り。

暮らしのスタイルは狩りや猟採集といった原始的な生活。生産性は低く人口も少なかった。しかしその生活の必要性から幼少から馬に乗り、勇敢で戦いに強かった。

 

明は元を北に追いやってできた国

1368年明の太祖朱元璋洪武帝はモンゴルの元を北に追いやった。

しかしモンゴルは元の本拠地に帰っただけだ。

モンゴルの地で勢力を持ち続けた。

明はモンゴル対策に大きな負担を強いられた。

万里の長城で現在残っているものは明の時代に築かれた。

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今見てもすごい。

これらを築く労力と負担は大変なものだっただろう。

何しろパワーショベルがなくすべて人力。

このくらいの城がないと騎馬民族の脅威は防げなかったのだ。

大きな地図で見ると

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満州平原の西の端、大興安嶺山脈の麓までがモンゴルの領域だ。

明の分割統治

塞外民族は大きな集団になると手強いことを知っている明は分割統治の手段を用いた。

よくできたシステムだ。大英帝国も植民地経営に用いた。

明の言うことを聞く部族には利益を与えるのだ。

 

室町幕府の3大将軍、足利義満はこのルールで日明貿易をしたことでしられている。

というか評判が最悪だ。

貿易の利益のために明の家来に形式上なったからだ。

臣源義満と称した。

臣と称することと、明の暦を使うことが前提条件だったのだ。

引き換えにかれは膨大な利益を得て金閣など一連の造営をした。

 

金閣は今は一部しか残っていないが空中を渡り廊下で結ぶ複数の建築物群だったのだ。

義満と反りが合わなかった息子で後継者の義持がすべて壊した。

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高所恐怖症の私には空中廊下など渡れそうもない。

 

この勘合貿易に使われた勘合には限りがあり、博多商人、堺の商人で奪い合いだった。長門大内氏は貿易で大きな富を築いた。

 

塞外民族にとって貿易許可証は宝の山だった

生産性が高く裕福な部類の日本ですら勘合貿易は宝の山だった。

だからこそ義満は名を捨てて実を取ったのだ。

輸入品は生糸、絹織物、陶磁器です。輸出品は刀剣、硫黄、フカヒレなどと教科書で習った。

生糸は30倍で売れたそうだ。何しろ競争相手がいないので売りてサイドが主導権を持つ。

現代の小売ビジネスの人が知ったら羨ましさで卒倒するだろう。

昔から通商、貿易はしこたま儲かる。もう一つは金融だ。

 

生産力が低く原始的な生活をしている塞外民族にとっては貿易はまさに死活問題だ。

女真族の産物の黒テンの毛皮にしろ、砂金にしろ、淡水真珠とかも、朝鮮人参も流通に乗らなければ実質的な産物には交換できないから。

塞外民族共通の産物である馬もそうだ。

 

日明貿易はどうやっても日本側が儲かるようなしくみになっていた。

だから明側は勘合の数を制限しようとしたので日本側は奪い合いになったのだ。

勘合を持たずに貿易しようとして騒ぎを起こした日本人もいる。

貿易を拒否されて略奪して帰ったそうだからたちが悪い。

 

塞外民族も明への帰順の度合いによって貿易を許された。

それをコントローすることで塞外民族の結束を分断し、仲間れを起こさせ、統治を省エネで行っていた。分断統治の長所といえる。

そしてそれはうまく行っていた。

よほどの変人でなければ自分たちの利益で満足する

他の部族よりもいい暮らしができるなら、あるいは同じ部族でも他よりリッチなら幸せ度は大きい。

これは今の日本民族で考えるとよくわかる。

首都である東京に住んで、マンションを1棟とか持っている人の余裕度は半端ない。サラリーマン氏が毎日あくせく働いているのを尻目に不動産収入でゆうゆう生活できる。

彼に「アメリカではもっと豊かな人がいるよ」とか言ってもまるで響かない。

「経費を除いても毎月500万以上が入ってくるんだからこれ以上は望まないよ」

「それよりもう少しゴルフがうまくなりたいんだが」とか言うだろう。

 

塞外民族にとっても同じだ。

だからこの明の政策は永遠にうまくいくはずだった。

 

ところが歴史は時に規格ハズレの人物を登場させた。

チンギスハンとはヌルハチだ。

 

しかしこれは凡人の私達だから考えることで本人にインタビューするときっと違う感想を述べるだろう。

「最初は確かに死ぬほど苦しかったけど幸運に恵まれて乗り切れた。それに比べればその後は自然に歯車が回ってくれたよ」とか。

 

自分は持ってないが、マンションも一番初めの一棟がきっと一番大変だろう。10棟を11棟にするのはあるいは10棟を20棟にするのはそれに比べれば道筋と信用ができているので楽だろう。あくまで想像だけど。

 

99.99%の人はある程度の富で満足するがごくごく一部はより高い目標に進むのだろう。私達は現在から過去の歴史を見ている。

実際の歴史は歴史でみるよりも何百倍もドラマチックだろう。

同じ民族を噛み合わせて戦わされることに終止符を打ちたかった。

漢民族遊牧民支配は非情だ。忠誠の証として同族を攻めることを強いる。

それは豊かさを求める限り輪廻のように続く。

ローマ帝国の剣闘士たちが生き残るためには毎回同業者との戦いに勝たなければならなかったように終わることはない。

針の穴を通すような幸運を経て部族の長になった例外的な部族長のチンギスやヌルハチには漢民族から自立するほうが容易に思えたのかも知れない。

元に戻ると

10歳で母をなくして継母の元で育つ。

25歳で父と祖父が死に部族の長として自立。

これについては悲惨な現実を歴史は伝えている。

敵の城に使者として話し合いに乗り込んだ祖父と父を味方であるはずの明の将軍が敵もろとも焼き殺した。とある。

明の将軍は李成梁という。想像だが味方とはいえ異民族の族長の命は気にかけなかったのかも知れない。単なるミスかも知れない。

とにかく明は過失を認め謝罪した。慰謝料として馬30匹と30通の詔勅(貿易許可証)をヌルハチに与えたのだ。

父と祖父を失った痛手には替えるべきもないがともかく貴重な原資となったことは間違いない。

とりあえずここまでとする。

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